2014年12月30日火曜日

宮古上映

2015年1月24日(土)より宮古の映画館、シネマリーンさんで「ジモトエイゾウサイ2015」が開催されます。
映画「波あとの明かし」も上映されます。
初日の1/24の上映終了後は監督トークと、主題歌を制作された小野寺智子さんのミニライブがあります。
是非お越しください!
真冬に真夏の映画を観て、暖まりましょう!


2014年10月5日日曜日

雑誌「SOGI」

表現文化社さんが出版している雑誌「SOGI」142号に、7月に應典院さんで上映された際のレビューが掲載されました。
雑誌「SOGI」のSOGIとは"葬儀"のことです。
葬儀業界に焦点をあてた、葬送の原点と将来を問い続ける雑誌です。

http://www.sogi.co.jp/sub/menu_publish.htm

2014年9月16日火曜日

丹波篠山・まちなみアートフェスティバル

ご来場いただいた皆様、本当にありがとうございました。

映画上映は終了しましたが、丹波篠山・まちなみアートフェスティバルは引き続き9/18〜23の期間、開催されます。

http://sasayama-art.com/



















2014年9月2日火曜日

兵庫上映 in 丹波篠山・まちなみアートフェスティバル

2014年9月13(土)~15日(月祝)、18日(木)〜23日(火祝)の9日間(9月16日と17日は休館)丹波篠山で開催される「まちなみアートフェスティバル」で映画「波あとの明かし」が上映されます。

上映日は9月15日(月祝)、場所は観音寺さんです。
(上映は9月15日のみとなります)

丹波篠山・まちなみアートフェスティバルとは?
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丹波篠山河原町妻入商家群、約30軒の町屋を舞台に、造形・彫刻・絵画・陶芸などの芸術作品を展示します。
 「丹波の國」・地元ゆかりの作家を中心に44人が参加。ギャラリートークやワークショップ、音楽なども合わせて 城下町の風情とともに楽しめる催しです。



<岩手と篠山のコラボ企画>
岩手の伝統料理"まめぶ汁"(丹波篠山の黒豆入り)をお出しする"まめぶ食堂"が1日だけ営業します。上映会場近くの下河原町集会場にてAM11時開店。(メニューの"まめぶ汁定食"は800円くらいを予定、売り切れ次第終了)


<会場>
観音寺(兵庫県篠山市河原町165)

<スケジュール>
2014年9月15日(月祝)
13:00~14:30 一回目「波あとの明かし」上映
14:40~15:10 トーク 紀本亘隆氏(曹洞宗観音寺住職) + 坂下清(監督)
15:20~16:50 二回目「波あとの明かし」上映

<料金>
一般1,000円、中学生以下無料。
*前売券の販売はありません。 
*予約は不要です。

<アクセス>
電車でお越しの場合
JR福知山線、篠山口駅下車、 西口より神姫バス(篠山営業所行き)本篠山バス停下車すぐ

車でお越しの場合
高速道路、舞鶴若狭自動車道、丹南・篠山口インターおりて 一般道を左方向(東)へ約10分

http://sasayama-art.com/2012map.htm

<お問い合わせ>
丹波篠山・まちなみアートフェスティバル実行委員会事務局

2014年8月31日日曜日

8月31日

8/31、今日は松明かし最終日ですね。

宮古では盆棚(施餓鬼棚、施食棚、精霊棚とも呼ばれます)の上部に栗の木を飾ります。
民俗学者・柳田國男氏によれば、
「栗という漢字は西の木と書く。西の方角には何があるかといえば西方浄土がある。
故人が浄土に無事にいけるようにという願いが込められている」のだとか。

東北には鹿踊り(ししおどり)という民俗芸能があります。
宮古にも多くの鹿踊り団体が存在します。踊りには先祖供養の意味があると言われています。

岩手出身の童話作家・宮沢賢治氏の著作に「鹿踊りのはじまり」という作品があります。


この作品は賛否両論あります。
「全くの創作で、"はじまり"と冠している割に鹿踊り本来の先祖供養の要素が入っていない」
「宮沢賢治は無知で、鹿踊りをただの踊りと思っていたようだ」と。

確かに全くと言っていいほど先祖とか霊とかの要素はありません。
しかし、上記の柳田氏の話を踏まえて読むと、宮沢賢治氏が本当に描こうとしていた物語が見えてきます。
登場人物の男性は物語冒頭で栗の木から落ちます。そして最後、男性は「西の方へ歩きはじめたのです」で終わります。

この主人公は生きている人間ではないように思います。
西方浄土への道しるべとして手向けられた栗から落ちてしまう、落ちたところで偶然にも鹿達が舞い踊る姿を見る。
その後、西の方へ歩き始める(再度、浄土へ向かう)。そんなストーリーのように思います。

宮沢賢治氏は熱心な法華経信者だったそうです。

どっとはらい。

2014年8月30日土曜日

8月20日

8/20、宮古は松明かしですね。

関西では今週の土日、もしくは来週の土日に"地蔵盆"を行うところも多いのではないでしょうか?

wikiediaによると、
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地蔵盆(じぞうぼん)は、地蔵菩薩の縁日(毎月24日)であり、なおかつお盆の期間中でもある旧暦7月24日に向け、その前日の宵縁日を中心とした3日間の期間を指し、またそのうちの日を選んで行われる地蔵菩薩の祭のことをいう。地蔵盆は一般には寺院に祀られている地蔵菩薩を対象とした祭りではなく、道祖神信仰と結びついた路傍あるいは街角(辻)の地蔵が対象となっている。
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とのこと。
一体何をするのか?
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地蔵のある町内の人々がこの日にかけて地蔵の像を洗い清めて新しい前垂れを着せ、化粧をするなどして飾り付けて、地蔵の前に集って灯籠を立てたり供え物をしたりして祀る。地蔵盆の前後には、地蔵の据えられる家や祠の周囲などに、地蔵盆独特の提灯が多く飾られる。京都では子供が生まれると、その子の名前を書いた提灯を奉納する風習がある。おおむね女子は赤、男子は白で、その子が地蔵盆に参加しているあいだは、毎年飾られる。そして巨大な数珠を回す。

とのこと。
町内会、子供会のお楽しみ会のような雰囲気で行われているのを京都や大阪ではよく目にします。

子供が主役の行事です。
なぜ子供が主役か?→お地蔵さんは子供を見守ってくれている存在だから。
地蔵はなぜ辻や町内の外れにあるのか?→昔、子供が死んだときはその町の外れに埋めていたから。
そもそも地蔵とはなんなのか?道祖神信仰?地蔵菩薩?閻魔様の現世のお姿?

地蔵盆はいつからやっているのか?

滝沢馬琴が「覇旅漫録」で記している。江戸時代初期頃から行われているのではないか?と推測される。
http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/E0026916


起源や由来はわからない。

・・・。

「盆」とつく行事のほとんどが謎だらけですね。

どっとはらい。

※写真は宝塚の地蔵盆の様子です。




8月16日

8/16、宮古は松明かしですね。

8/16はお盆最終日、送り盆の日です。
日本各地で様々な風習がありますが、なかでも有名なのは京都の「五山の送り火」ではないでしょうか?
映画「波あとの明かし」は京都2カ所で上映しました。その際、「五山の送り火も松を燃やす、何か関係があるかもしれないですね」という声をいただきました。

五山の送り火を「悠久から続く、由緒正しい歴史ある行事」と思っていたのですが、起源などははっきりわかっていないそうです。

一番古い記録としては、慶長8年(1603)、公家舟橋秀賢の日記『慶長日件録』の7月16日条、

「晩に及び冷泉亭に行く、山々灯を焼く、見物に東河原に出でおわんぬ」

という記述だそうです。「山々灯を焼く」とあるのが鴨の河原から見られる大文字などの送り火であったと考えられています。

これはどういう史料かというと、とある公家の方が日記に「料亭に出かける途中、大文字の送り火を見かける。ちょっと見物に河原にでるか」と書いていたというもの。これが五山の送り火の最古の史料となるので、1603年には既に行われていたことになります。起源や意味についてはっきりと記している史料は無いそうです。

五山の送り火のような有名な行事が、意味も起源もわかっていないというのは驚きです。

どっとはらい

8月15日

8/15、宮古は松明かしですね。

小本では一晩に5カ所で松明かしをする家があるそうです。

玄関前に3つと、井戸の前と便所の前。
玄関前の3つは昨日書いた三界万霊かと思います。

井戸と便所は?

お盆期間中はご先祖、仏さんの霊が帰ってきます。と、同時によくない霊、縁のない霊。つまり、無縁仏や三界万霊もあの世からこの世に入ってきます。その際、入口として井戸や便所などの水のある場所が通路になると考えられていました。

京都のお盆といえば六道珍皇寺さんの六道参りです。小野篁(おののたかむら)氏が冥界と現世を行き来する際は、六道珍皇寺にある井戸を通路として使っていたとされています。井戸は冥界の入口という意味があるようです。

松明かしはご先祖の霊が帰ってきやすいようにと、目印の意味と考えられていますが、井戸や便所の前の松明かしは全く別の意味を持っていると考えられます。無縁仏への供養、功徳の意味が強いと考えます。

玄関前の3つが三界万霊への供養、井戸と便所の火が無縁仏用。
あれ?ご先祖様用の火は・・・?

玄関前の3つには三界万霊以外にも別の意味がありそうです。

どっとはらい。

8月14日

8/14、宮古は松明かしですね。

宮古の白浜では松明かしを一晩に3つ焚くそうです。
玄関の前で焚き火を3つ並べる。なぜ、3つなのでしょうか?

お盆は先祖の霊をお迎えすると同時に、無縁仏への供養が行われます。

無縁仏のことを三界万霊とも呼ぶようです。

三界とは?
一つ目は「欲界」(よっかい)
・あらゆる欲望や目に見える形に囚われた世界(現在の我々の世界もこの一部)。
二つ目が「色界」(しきかい)
・欲望は無いが、目に見える形、物質に支配された世界。
三つ目が「無色界」(むしきかい)
・沃欲や物質を超越した精神世界だが、未だ完全な悟りではない世界。

その三界すべてのことを三界万霊と呼ぶ。三界万霊とは無縁仏と同義語のようです。
地域によって呼び名は様々です。

・南九州ではフケジョロ(外精霊)、ウケジョロ(浮精霊),ホカドン(外殿),トモドン(供殿)など
・紀ノ川ではお客ボトケ
・兵庫県宍粟郡ではショウロサン(精霊様)
・岐阜県加茂郡では一切精霊様
・壱岐ではサンゲバンゲ(三界万霊)

お盆に松明かしを三つするというのは、三界のすべてに対する供養の意味があるのではないか、と考えます。

どっとはらい。

2014年8月29日金曜日

祝!みやこハーバーラジオ開局1周年!

祝!みやこハーバーラジオ開局1周年!おめでとうございます!

記念すべきスペシャルウィークに出演させていただきました。

というか智子さんに無理矢理ねじ込んでいただきました。

映画「波あとの明かし」の話をさせていただきました。が、何を話したか覚えていません。

生放送に緊張しすぎて、余裕の無い顔。





2014年8月16日土曜日

8月13日


8/13、宮古は松明かしですね。

磯鶏で聞いた話では墓前で松明かしをする際、2つ松明かしをするそうです。
2つの松明かしの間を、故人の霊が通るそうです。霊の通る道をつくり、迎え、送るそうです。
(この場合、墓に送るのだろうか?天へ送るのだろうか?霊はどっち向きなんだろうか?)
門松ならぬ、門松明かしといったところでしょうか。

門松には地域によって色々な形、意味があって、一概に「門松とは何か」を語ることは不可能です。
お盆と正月の関係性については以下の動画をご覧いただきたく思います。

さて、宮古の場合、年末に家の部屋という部屋に松を飾ります。正しくはそれぞれの部屋の「門」に松を飾ります。
台所、居間、客間、寝室、便所、風呂。
お盆に松を明かし、正月に松を飾る宮古。松にはどんな意味があるのでしょうか?
民俗学者・折口信夫氏は著書「門松のはなし」のなかで、
「松を迎えることは、分霊を迎える事で、松は即、その霊ののりものだつたのです。」
と書いています。
上記は松の葉の話なので、薪となった松にもそのような意味があるかは定かではないですが。。。

どっとはらい。



2014年8月7日木曜日

七日盆

8/7、宮古は松明かしの日ですね。

東北ではこの日に多くの風習があります。

・ナヌカビ、ナヌカボン、七日盆【東北6県すべて】
・墓地の草取り、清掃、墓払い、【東北6県すべて】
・「七回水浴びして、七回飯をたべる」【青森、岩手、宮城、秋田、山形】
・七夕踊り【宮城】
・迎え火、「ショウライタチ、ショウライタチ、この火の明かりでジッコもバッコも来とな来とな」と、墓に火をかざす【秋田】
・女性は七回髪を洗う【山形】
・早朝に墓参り【山形】
・カマブチツイタチ【福島】
・新仏の家では高灯籠を立てる【福島】

8/7にはどういう意味があるのか?(旧暦、新暦に関して省く)

初七日法要というものがあります。
仏さんはこの世を旅立ち、あの世へ向かいます。この世からあの世まで徒歩で七日間かかるそうです。逆も然り。
あの世の入口に着いたその日に行う法要が、初七日法要です。

霊が帰ってくるお盆。宮古はお墓参りを8/14にします。
七日前の日、つまり8/7は霊があの世を出発し、この世に向かう日に相当します。
ですので、東北6県すべてに墓掃除の風習があります。お墓をきれいにしておいて、霊が気持ちよく帰って来れるように、という心遣いから生まれた風習かと思います。

どっとはらい。

2014年8月2日土曜日

8月1日

8/1、宮古は松明かしの日ですね。

8/1は八月朔日といい、略して八朔(はっさく)と呼ばれます。
八朔の頃、早稲の穂が実るので、農民の間で初穂を恩人などに贈る風習が古くからあったそうです。このことから、田の実の節句ともよびます。この「たのみ」を「頼み」にかけ、武家や公家の間でも、日頃お世話になっている(頼み合っている)人に、その恩を感謝する意味で贈り物をするようになったそうです。

宮古ではお盆がある月の始めの日、という意味で8/1に松明かしをするそうです。

岩手を含めた東北6県ではお盆をどのように過ごしているか、またどのような風習があるのか。
興味深い資料があったので引用します。

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8/1 松明かしをする、お盆の始まりを表す【岩手】
8/7 七回水浴びをして、七回飯(うどん)を食べる【青森】
8/13 墓参りの際、共同墓地(ラント)で持ち寄った重箱を開いて先祖とともに食べる【秋田】
8/13 夜、「ハカムシリ」の習俗、墓に供えたお供え物を子どもが持っていく【秋田】
8/14 早朝、墓参り【岩手】
8/15 午後、墓参り【岩手】(8/14と15は岩手以外は基本的に何もしない)
8/16 仏壇に供えたダンゴを送り火とともに焼く。【山形】
   盆棚、お供え物を川に流す【青森、岩手、宮城、秋田、福島
8/20 オワリ盆(送り火)【宮城】
8/23以降 庄内地方では死霊がモリの山に集まるので参詣にいく(施餓鬼供養)【山形】
8/24 うら盆【山形】
8/31 ミソカ盆【岩手】
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2014年7月30日水曜日

日本語字幕

日本語字幕を入れることに懐疑的でしたが、実際に入れてみると、
「宮古弁を活字にすると面白い!」ことがわかりました。
宮古弁字幕、鋭意制作中です。



2014年7月29日火曜日

監督インタビュー掲載

應典院さんが発行している「應典院寺町倶楽部会報・サリュ」の第92号2014年7・8月号に
監督インタビューを掲載していただきました。

リンクよりダウンロードも可能になっています。

http://www.outenin.com/modules/contents/index.php?content_id=932

2014年7月27日日曜日

夕顔にまつわるエトセトラ

應典院さんで上映した際、来場者の方から教えていただいたお話。

「関西ではお盆の際、仏壇に干瓢(かんぴょう)を吊るす」

という風習。
干瓢は夕顔の皮を干したもので、「かんぴょう巻」として馴染みがあるかと思います。
映画の中でも夕顔は初盆の際に仏さんへのお供え物として登場します。
いずれにしても仏さんへのお供えにあげられる夕顔には民俗学的にどんな意味があるのか調べてみました。

wikipedhiaによれば、
「民俗的にはハレの日に食し、陽気や作物の豊凶を予兆する年占作物としても認識され、作物禁忌も存在した。」とあります。

作物禁忌とは何か?

山梨県富士吉田市の「富士吉田市史 民俗編」で夕顔の作物禁忌について触れられていました。
以下、引用。


 味噌汁や香の物、あるいはかんぴょうに加工するなど、夕顔は皆さんの食卓にお馴染みの作物です。しかし夕顔は、この地域では様々な言い伝えに登場することも多い作物でもあります。 中でも新屋の堀内氏は夕顔を作ったら先祖が死んだことから、それ以来夕顔を作ってはならないとされてきました。こんな話も伝えられています。  子どもが得体の知れない高熱を出して医者も手の施しようがなくなった。その時、お寺の坊さんが「お前の家に作っちゃならないものがある、調べてみろ」といった。帰って調べてみると大きな夕顔が自生していた。急いで抜いたところ病気はすぐに治った。この家では昔から、夕顔を作ってはならないと聞いていた。  また、夕顔ではないが、松山の佐藤氏はキュウリを作ってはならないとされています。これはキュウリを作ったときに祖先が怪我をした事が由来のようです。  夕顔にまつわる伝説には「死」に関係するものが多いことに気が付きます。例を挙げてみると、・不幸があった年はその家でとれた夕顔が苦くなる(下吉田)。・作り付けない家が作ると若い者が死ぬ(下暮地)。・夕顔の肥料は死体が一番効く(小明見)・夕顔が盗まれたら、残った切り口に畑の泥を塗れば犯人は死ぬ(小明見)
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作ることを禁じられた忌まわしい物、とされる夕顔。
なぜそうなったのか?

食用ではない夕顔などのヒョウタン系の作物には、ククルビタシンという毒性の成分が含まれているそうです。摂取後数時間後、吐き気、おう吐、腹痛、下痢などに襲われるということです。

昔の人が自生している夕顔を食べてお腹を壊したことから、こういう言い伝えになったと想像できます。

しかし、お盆の際にお供えするようになったのはなぜでしょう・・・?

2014年7月25日金曜日

予告編 字幕ありバージョン

6カ所での上映が終えて。
「日本語字幕が欲しい」というお声を多数いただきます。岩手出身者の方からもいただく始末。全国ネットの番組で東北弁に字幕が入っていると静かな怒りを覚えるのは私だけではないはず。そのため、頑に字幕を入れない考えだったのですが、入れてみることにしました。日本語ではなく、宮古弁の字幕を。

「宮古の若い人の言葉はわかるんだけど、年配の方の話している言葉はほとんどわからない」という感想をいただきます。ということは今後、世代交代していくなかで完全に失われる方言もあるということ。
日本語に直した字幕を入れるのではなく、宮古弁そのままを表示させる「宮古弁字幕バージョン」を制作中です。

ひとまず予告編を宮古弁バージョンに作り直しました。